〜こばと、ひかり、そして「ひよこ」へ〜
それは、はたらくお母さん、お父さんたちと、
保育園を支えてきたすべての人たちの、
素晴しい頑張りの歴史です。
1970年、冬。寒い雨の日。
大きなお腹を抱えたお母さん、産休明け間近のお母さんたちが、
ひとつの相談のために集まりました。
その頃の尼崎市には、公立はもちろん私立でも、0歳児の産休明け保育を引き受けてくれる保育所はほとんど無かったのです。
今もなお、大きな問題となっているのですが・・・。
「仕事は続けなければならない。
でも、子どもたちは、安心できるところに預けたい。」
彼女たちは、つらい身体で動き回り、なんと資金ゼロ、施設から保育費用まで
すべて自己負担で、個人宅を開放しての保育を立ち上げました。
「こばと」共同保育所のはじまりです。
この、こばと共同保育所の時代、尼崎市のベビーホーム委託制度の適用を受けて、
わずかながらも公的資金を手にするまでになりました。
一方1974年には、新日本婦人の会に集まるお母さん達が自ら保育士となって、
市の委託制度を受けた「ひかり」共同保育所を作りあげました。
この2つの共同保育所は、以降10数年にわたって、交流を深め合うことになります。
その間、資金面・運営面でさまざまな困難もありましたが、
「子守り」から「発達を促す保育」へと進んでいった時期でもありました。
「こばと」と「ひかり」。
2つの共同保育所が協力して、次にめざしたものは、認可園の設立でした。
そして、1983年。「立花ひよこ保育園」(設置者/社会福祉法人 立花福祉会)は
誕生しました。土地探しから資金作りまで、すべてゼロから出発した建設運動。
現在の保育内容をアピールする運動。その力強い努力が実を結んだ年でした。